1. stereocolours:

    Endless Night
    Adam Marshall Photography 

    Prints | Tumblr | Facebook | Flickr

    (loveyourchaosから)

     

  2. "最初期のニンジャスレイヤーをブロックした人達の話、「フォローされて、フォロー返したら何かに感染するんじゃないかと怖かった」というのがリアルだった"
     
  3.  
  4.  
  5.  
  6.  

  7. "習慣は、最高の召使いか最悪の主人のいずれかである。"
    — ナサニエル・エモンズ (via darylfranz)

    (petapetaから)

     
  8. elenamorelli:

    { sense of rebirth }

    (loveyourchaosから)

     
  9. zenigata:

    2chan.net [ExRare]

     

  10. "

     どの仕事も続かず、50代になっても引きこもり状態だった知人男性が、最近働き始めた。宅配業務だ。数週間後、その男性が嘆くのを聞いた。

     「上司は、人の働きたがらない早朝や深夜便ばかり俺に押し付ける。得手勝手な連中ばかりだ」

     そりゃそうだろう。50代無職の未経験者を雇う立場を考えれば、とりあえずは人手の空き時間をそれで埋め、使い勝手のいい20代に最も長時間の希望時間帯を提供しようとするだろう。

     「人を何だと思っているのか」と憤る男性に、「仕方がない。頑張ろう」と励ましつつ、この「俺様」意識がどの仕事も長続きさせない核になっていることに、本人はいつ気づくのだろうと思った。

     自分の思う自分の社会的位置と、社会で値踏みされる位置は違う。自任と他者評価は違うことに疎いタイプが少なからずいる。

     テレビ業界ではアシスタントディレクターという位置は、一応、低いことになっている。
     諸々の雑用もこなす立場だ。その20代女性に私は用事を頼んだ。

     「今日、私が選んだ写真をデータでください」
     「わかりました」

     そして、私のメールに写真が届き、用事は終了…となる、はず、だった。
     ところがその女性は違った。

     インターネットに私の写真を50枚上げ、私がそれをダウンロードする手法をとった。

     私が選んだ写真は5枚だ。
     なぜボツ分を含む大量のデータをダウンロードさせようとしたのかはわからない。

     ただ、その女性はデータを1個のファイルに圧縮して送らず、50枚の一枚一枚をそれぞれ50回ネットに上げ、私にダウンロードする案内をした。

     その行為をするほうも大変だったろうが、ダウンロードするのも並大抵ではない。なんせ、そのほとんどが不必要で、その是非はダウンロードしないことには判断がつかなかった。

     「私が選んだものだけを、メールで添付してください」と再度、連絡した。

     すると、私が選んだものではなく、番組で使用したものが添付で数枚届いた。

     そこで私は、この用事は彼女には無理であるという判断を下した。

     「私が選んだものが添付されていません。次回、SDカードごとください」と連絡した。すると、ここから彼女の攻勢が始まる。

     「本番で使用した、〇〇〇〇番と、△△△△番を送りました」と返事が来た。
     つまり、「自分は間違っていない」と、画像の数字を羅列することで反論したのだ。

     「いーえ。あなたは間違っている」と、ここで相手にしたら、私は泥沼に入ることを経験で知っていた。そもそもその女性は私の部下でもない。

     その女性の上司に連絡を取った。

     「まず、インターネットに上がっている私の写真を消去してください。それと、SDカードをください」
     「はい」

     それで済んだ。

     写真をネットに勝手にあげたこと、写真を本人に送るという簡単な用事ができなかったこと等、その後上司から注意されていることは容易に想像できた。

     だが、それを素直に聞くだろうか、という私の予感は的中した。

     その女性からメールが来た。
    「次回、SDカードをお渡しします」

     そこには、手数をかけた詫びも、ネットに写真をあげた詫びもない。文面にその女性の憤りが見てとれた。

     そしてその日。

     何人もいる番組責任者が私の楽屋に詫びを言いに来た。
    「今日、SDカードをお渡ししますので」

     その後、女性が番組用カメラを持参し、言った。
    「写真を選んでください。CDに焼き付けてお渡しします」

    「SDカードをくれるのでは?」
    「個人のものですので」
    「あなた個人のもの?」
    「いいえ。スタッフの」

    「そのスタッフが、今日、SDカードを渡すと言ったんだけど?」
    「他の仕事の写真も入ってますので」

    「その写真はすぐに入り用のもの?」
    「いいえ」
    「見られて困るもの?」
    「いいえ」
    「では貸してくれる?」
    「許可を取らないと」

     … 会話をしているようだが、私は女性の意地と格闘していた。

     「渡したらええやないか!」と、会話を聞いていたディレクターが怒鳴った。

     しかし女性は引かない。
    「では、許可を取ってから」と渡さず出て行った。

     彼女以外の全員が「渡す」と言ったSDカード。彼女はいったい誰の許可をとりにいったのだろう。

     そばにいた別のスタッフが言った。
    「はい、というのが癪に障るから抵抗しただけ。すぐに許可が取れたといって持ってきます」

     数分後。

     「許可が下りました」と彼女は持ってきた。
     詫びは当然、なかった。

     しばらくして顛末をどこからか聞きつけた上司が、ひれ伏さんばかりに詫びに来た。
     「今日に至ってまだそんな…。あの意地や頑なさはいったいなぜ」とため息した。

     私にはわかる。

     50回ダウンロードせよ、と指示した自分に従わなかった私への怒り、だ。
     その怒りの根源には、「この私」がある。未経験者の50代男性の「俺様」と同じだ。

     下働きとされるアシスタントディレクターもまた、自任と他者評価の温度差に憤る。

     「ネットにあげる圧縮方法も、知らないなら聞けばいいのに、聞かないんです」嘆く上司。

     「この私」がある以上、自分の正しさに執着するのも驚くことではなく、他人にうかがいをたてる、という謙虚さを願うのも空しい。

     家でSDカードを見て驚いた。
     変換用メディアがないとパソコンで開けないタイプのSDカードだった。

     「これがないと見られません」と、メディアチップごと貸す方法もあったのに、一切触れずSDカードのみを黙って渡すところにまだ女性の意地が届いた。

     私がこれまで出会った、たくさんの「この私」系女性たちを走馬灯のようによぎらせながら、ため息をついて、家電店に出向いた。

     この時代、「データちょうだい」「はい」で、一分で終わる用事が、「この私」にかかると、10日を要し、大勢の責任者たちが詫びで右往左往することになった。

     「この私」だけが、平然としている。

     プライドの高い部下に共通してある「この私」と「俺様」の真の恐ろしさは、本人が生涯それに気づかないまま人生を終える可能性があるということ。憤りは自分に向かず常に他者に向く。私はそういうタイプには距離を置き怒らない。治らないし面倒だからだ。

    "
     
  11. (元記事: unusualize (gthegentlemanから))

     
  12. djdbravo:

    Ice biking Mendenhall Glacier , Juneau , Alaska

    (an-kから)

     
  13. ghostof:

    300 Series NOZOMI by TAT_hase! on Flickr.

    (ak47から)

     

  14. "経理部員たちに仕事の仕方をたずねると、彼らの説明は多かれ少なかれ職務マニュアルの正規の手順に準拠していた。しかし、彼女が部員たちの仕事ぶりを観察してみると[…]実にさまざまな変則的なやり方に頼っており、それらはどのマニュアルにも出ていないにもかかわらず、結果的には、その仕事をうまくやるために不可欠だった。"
    — 

    大部分の人々は、職務を定義している正規の規定や、明確に構成された組織図が、従業員のやるべきことを正確に記述していると考えている。特に反復定型的な業務の場合はそうである。ところが、PARCの人類学者ルーシー・ザックマンが、七九年にゼロックスの経理部員について研究を始めたところ、予想外の興味深い矛盾を掘り起こす結果となった。

    ザックマンが経理部員たちに仕事の仕方をたずねると、彼らの説明は多かれ少なかれ職務マニュアルの正規の手順に準拠していた。しかし、彼女が部員たちの仕事ぶりを観察してみると、実際にはこれらの手順に従っていなかった。むしろ彼らは実にさまざまな変則的なやり方に頼っており、それらはどのマニュアルにも出ていないにもかかわらず、結果的には、その仕事をうまくやるために不可欠だった。

    事実、経理部員たちは予期しない難問を処理したり、差し迫った問題を解決するために絶えず改善を行い、新しい方法を発明していた。自分では気がつかなくても、事務員たちはルーティンワークの説明を聞いた人が想像するより、はるかに革新的かつ創造的だった。

    ザックマンは、正規のマニュアルの規定は仕事をやるうえではほとんど役に立っていないとの結論に達した。これらの規定は、特定の業務の目的を理解するため、たとえば請求に対して支払うためには、特定のファイルにどんな種類の情報が順序正しく収められていなければならないか、といったことを理解するために使われているが、実際の仕事の手順を決める際にはほとんど使われていなかった。むしろ目的を達成するため、つまり請求に対して支払いが行われるように、情報を集め、照合するために、その時々の予定外の偶発事態を考えあわせながら、絶えず新しい作業方式を発明していくのである。

    ナレッジ・マネジメント (ハーバード・ビジネス・レビュー・ブックス) p.219

    何度も探してしまうので、Quoteしておく。

    ルーチンワークは「日常的に決まっている作業・業務」と言われるけれど、実体は「決まったインプットに対して決まったアウトプット」を出す、という役割とかインターフェースが「決まって」いて、それが日常的に実施されるということが多い。その間のプロセスは、その時々の状況の中で同じアウトプットを出すために、かなりインテリジェントな業務をしている。

    引数、戻り値、用途が簡明に定義されたメソッドが、内部ルーチンはかなりインテリジェントだったりするし、その実装が実装者によってかなり異なるだろう。ルーチンワークの担当者も、その遂行方法は実施者によってかなり異なるだろうし、そこを画一化させることは結局のところとても難しい。

    (via tsukamoto)

    (cancellerから)

     
  15. kalifornhia:

    my life has a sense now

    (元記事: avocanic (expositionから))